【前編】地方出身の先輩に聞く、現在の仕事と東京での就職を決めた理由
GMOアドパートナーズの連結会社であるGMO NIKKOに、2021年4月 広告運用コンサルタント職として入社した神原さん、菊地さんにお話を聞きました。今回はインタビューの前編「現在の仕事と東京での就職を決めた理由」をお届けしたいと思います。地方で就職活動を頑張っている就活生の皆さんの参考になれば嬉しいです。
入社半年、現在の仕事
ー入社してから半年がたちましたが、現在はどのような業務をしていますか?
神原:まだフロントではないですが、1、2件ほどの案件に関わりながら、運用したり、定例会資料を作ったりしています。実際にクライアントの前に立って話す機会も増えてきました。また、コンサルティング本部にあるレベルアップテストに向けた分析もしています。
ーコンサルティング本部のレベルアップテストはどのようなことをしているんですか?
菊地:コンサルティング本部ではコンサルタントのレベルを7つに分けて設定しています。私たちはレベル1にあたるライトジュニアです。一つ上のジュニアコンサルに上がるために、選択式のテストとロールプレイングを行います。選択式のテストについてはコンサルタントの養成所で学んだ内容から出題されます。また、ロールプレイングは自分が日々関わっている案件の1ヶ月分の分析をおこない、クライアントとの定例会と同じような形でロールプレイングをして分析から提案ができているかを評価してもらいます。
ー実務をやりながらテストをおこなうのは忙しそうですね。養成所はいつから始まっていたんですか?
菊地:私たちの一つ上の先輩は入社後に実施していた研修だったのですが、私たちの代からは内定者インターンの時におこなっていました。養成所と呼ばれる研修プログラムを通じて、広告運用コンサルタント業務の基礎知識はインターンで終わっていました。入社後は先輩と一緒に実務やクライアントワークを中心に取り組んでいます。
ー神原さんは宮崎オフィス、菊地さんは北海道のご実家で内定者インターンに参加してくれていましたよね。二人はいつから参加していたんですか?
神原:2人とも9月からです。内定者インターンには半年ほど参加していました。
ー半年の間参加してくれていたんですね。入社してから感じたギャップはありましたか?
神原:私は大学3年生の時にも、GMO NIKKOで1ヶ月間のインターンに参加していました。また、内定後も宮崎オフィスでインターンをしていたので大きなギャップはありませんでした。
菊地:私も特にギャップはなかったです。あるとしたら、本当にホワイトだなあと思いました。入社前は、「もっと日常的に残業があるのかな」と思っていました。
内定者インターン期間中は勤務時間が決まっていたので、時間内に終わっていましたが、実際に入ったらどうなんだろうと思っていました(笑)。もちろん忙しいは忙しいですが、フレックス制度もあるので調整しながら働けるのはありがたいです。いい意味でギャップでした。
ーインターネット広告代理店にどういうイメージを持っていましたか?
神原:堅くない印象です。服装も自由で、自分のスタイルで働けるイメージがありました。
菊地:業務は大変なのかなと思いつつ、神原さんと同じで自由に働けるイメージを持っていました。
ー入社してみてGMO NIKKOはどのような雰囲気だと思いますか?
神原:先輩だから言いづらい、かしこまらないといけないなどがまったくなく、フラットだと思います。上下関係を気にせずなんでも言えますね。
菊地:みんなが優しく、気にかけてくれると感じています。私自身、自分から話しかけにいくのがちょっと苦手なのですが、先輩たちが私が困ってそうだと気軽に声かけてくれるのでありがたいです。
ー入社時は完全在宅だったと思いますが、少しずつ出社日数が増えましたよね。出社してみてどうですか?
神原:今は週に3日間出社しています。出社と在宅勤務、両方あるスタイルが自分には合っていると思います。
菊地:入社時から在宅勤務と出社の組み合わせがスタンダードだったので、週5出社になると体力的に厳しいのではと思っています(笑)。
東京での就職を決めたきっかけ
―地元ではなく、東京での就職を決めたきっかけを教えてください
神原:私は、地元の宮崎にずっといたいと思っていました。大学では、地域活性化を目指すために地域資源をどのように活用してビジネスするかを学んでいました。じつは、私の地元が消滅可能性都市に選ばれてしまい、大学で地域活性化について学び、絶対に地元で働くと考えていたんです。
しかし、大学でいろいろなことについて学んでいくなかで、今卒業して地元で働いても、自分にできることが少ないと思っていました。大人の方とコミュニケーションをとるうちに、一度宮崎を出てもいいと考えるようになったんです。外から宮崎を見たり、いろんな刺激を受ける機会にするために、ずっといた宮崎を出てみるという選択肢を持ちました。
大学3年生の時にマーケティング論の授業でGMO NIKKOでのインターンシップに参加する機会があり、渋谷オフィスでのインターンシップにも参加しました。
ー地元への愛がとても深いですね。東京に来て半年ですが、出てきてみてどうですか?
神原:今はいずれ宮崎に帰りたいという思いより、間接的でもいいので宮崎に関われるものがあればいいと思っています。まだどのような手段で関わるかは決めてはいないですが。
ー菊地さんは東京に出てこようと思って就活していましたか?
菊地:私は東京に行くと決めていたわけではなかったのですが、「地元に残るのもな」という状態でした。大学2年生の時から、地元札幌で長期インターンシップに参加していました。インターン先はIT系のベンチャー企業だったのですが、もともと東京で働いていた人たちが札幌支社を立ち上げていたので、東京で働いていた人と関わる機会が多かったんです。東京から来たみなさんがキラキラしていると思ったのがきっかけでした。
―大学の友人は地元を出ている人が多いですか?
神原:私の代は少なかったです。
菊地:私の代も3~4割ぐらいですね。
ー少ないですね。ご両親は地元を出ることを反対したりしませんでしたか?
神原:反対はされませんでしたが、寂しいと言われていました。たまたま弟と宮崎を出るタイミングが一緒だったので、より寂しかったと思います。
菊地:私は姉が先に東京に出ていたので、私の時は行きたいなら行ったらいいよと反対もなく、送り出してくれました。
―大学の友人は地元を出て就活している子が少ないと聞きましたが、就職情報はどのように収集していましたか?
神原:地方学生を支援してくれる就活のサポート団体に参加していました。1週間無料で東京のシェアハウスに宿泊して、30社ほどの企業と会っていました。自己アピールしてマッチングした企業とディスカッションなどをおこない、1週間の滞在期間中に1次面接まで選考が進むんです。その時にシェアハウスに集まったほかの地域から来た子とも情報交換をしていました。
ー就職活動はオンラインが中心でしたか?
神原:最初のうちはリアルで、途中からオンラインに切り替わりました。
菊地:企業によって対応が違いました。全部対面で実施する企業もあれば、途中からオンラインに切り替わったところもありました。
ー菊地さんはどのように情報収集していましたか?
菊地:私はネットで調べていました。就活サイトでインターンの情報や説明会情報を収集をしたり、就活支援団体のイベントに参加したり、メンターに希望する業界に内定した先輩を紹介してもらい話を聞きに行ったりしていました。
ー2人とも自身で積極的に情報収集していたんですね。移動費などかかってしまったと思うのですが、お金はかかりませんでしたか?
神原:交通費は選考を受けていた企業が負担してくれたのであまりかかりませんでしたが、宿泊費がかかりました。
菊地:私は姉が東京にいたので宿泊費はかかりませんでした。選考に進んだら交通費が出る企業が多かったですが、インターンや説明会に参加する場合はなかなか交通費が出ないので、限られた日数にぎゅうぎゅうにスケジュールを詰めて、できるだけたくさんの企業に行けるように調整していました。
ー複数社分申込みをして、効率よく回っていたんですね
菊地:午前はこの企業、午後はこの企業というように調整していました。
ー土地勘がないと、移動も大変ではなかったですか?
菊地:ちゃんと行けるかドキドキしていました。
神原:特に新宿駅が大変でした!
菊地:出口を間違えるともう出られないので......。
神原:新宿駅は要注意です(笑)。
インタビュー前編、お読みいただきありがとうございました。
GMOアドパートナーズの連結会社であるGMO NIKKOの神原さん、菊地さんに現在の仕事と東京での就職を決めた理由を聞きました。後編では、地方での就活と引っ越しエピソードをお届けします。ぜひご覧ください!
GMOアドパートナーズでは2023年度 新卒採用をおこなっています。
最新情報はこちらをご覧ください。